ウォータープルーフ

waterproof /沼尻つた子

『桜前線開架宣言』書評

こんにちは。

4月もなかば、私の住む関東では、桜が満開です。

春の雨や風を受けてもなお、まだまだ美しく咲いています。

自宅近くの画像です。

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そこで、思い出した一冊があります。

山田航(やまだ・わたる)編著『桜前線開架宣言』です。

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紀伊國屋書店新宿本店の限定特典、書店員の梅﨑実奈さんによる書籍未収録の「山田航ページ」がついています。

すでに人気の定着しつつある本ですが、昨年の「塔」4月号に執筆いたしました、

私の小文(塔書評委員による「歌集・歌書探訪」)を掲載させて頂きます。

 

<短歌を開くために>

 目を奪う、ショッキングピンクの表紙。サブカル/自由/ロック/平成/ファンタジーといったキーワードが羅列された帯、ポップな装丁。帯の背には「二十一世紀は短歌が勝ちます」との〈宣言〉。二〇一五年十二月の発行直後から大きな反響を呼んでいる『桜前線開架宣言』(左右社)である。

 著者の山田航は歌誌かばん所属の一九八三年生まれ。二〇〇九年に角川短歌賞と現代短歌評論賞を受賞し、二〇一二年には穂村弘との共著『世界中が夕焼け』(新潮社)が話題となった。その穂村(一九六二年生まれ)以降、一九七〇年より後に生まれた四十人を集め「現代短歌日本代表」と銘打ったアンソロジーが当書だ。

 歌人を生年順に並べ、見開き頁の紹介文と五十六首ずつの選歌を収録し、大松達知(最年長の七〇年生まれ)・小島なお・横山未来子ら既に著名な歌人から、瀬戸夏子・しんくわ・小原奈実(最年少の九一年生まれ)等、学生短歌会員や無所属、歌集未出版の歌人までをも網羅する。

 因みに「塔」所属歌人では松村正直・澤村斉美・花山周子・大森静佳・藪内亮輔が選ばれ、主宰の吉川宏志(六九年生まれ)もコラムで取り上げられている。

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(収録歌人の名前がカバーにデザインされています)

 

 山田は歌集はもとより同人誌や電子書籍ネットプリント等も綿密に読み込み、結社や出版社へ言及し、ブックガイドを付けている。読むうちに各々好みの歌人や作風を探れるし、短歌史を辿るきっかけも得るだろう。主な読者としては短歌に興味を持ち始めた若年層が想定されていそうだ。そもそも山田自身が「寺山修司から短歌に入ったぼくは、歌集というものをヤングアダルト、つまり若者向けの書籍と思いこんでいた」(まえがきより)という。

 だが当書は若者、初心者に限らず、入門期を過ぎた短歌実作者にも薦めたく思える。あとがきで山田は四十人の選定基準を「ハイ・カルチャーとしての短歌に安穏としない」「現代日本文化のエッジとして力を発揮している」歌人だと書く。

 先鋭的な彼らの歌を読み解き伝える為、山田はあらゆる手段を講ずる。作者の経歴を調べ、出身地や生活圏に思いを馳せ、師系を遡る。鑑賞には比喩・引用・置換を駆使し、ジャンルを超越した文化や風俗、即ち音楽・写真・お笑い・プロレス等を引合いに出す。例えば松村正直の作品はフリーター経験と石川啄木の影響を絡め「本質はパンク・スピリット」と看破する。更に帯の「勝ちます」宣言が表すように、従来の閉塞的な短歌の世界を開き、他文化と対等以上に渡り合おうとする姿勢がみられる。

 一方、文中には率直過ぎたり、偏向を感じる点もあった。だが今、短歌界にはこの熱量が必要ではないだろうか。私は七一年生まれだが、多彩な作品と山田の情熱にうたれ、翻って自分は型に嵌った表現と安易な鑑賞に甘んじていた、と思い知った。 

 また時折、歌会等で年長者からの「若い人の歌はわからない」という声を耳にする。そのような歌へのアプローチの手掛かりが、当書に見出だせるだろう。固定観念や先入観に捉われず、短歌に対して己を閉じず、熱を放ち、保ち続けたい。この表紙の真っピンクにひるまず、様々な立場や年齢の人が手に取り、歌の花を開かせてほしい。

 

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(サイン入りです)

2017年5/20(土)、私の第一歌集『ウォータープルーフ』の批評会がひらかれます。

詳細は、どうぞこのひとつ前の記事をご覧下さい。

パネリストの方々は勿論、会場も豪華な顔ぶれとなりそうです。

皆様のお申し込みをお待ち申しあげております。

 

『ウォータープルーフ』批評会のお知らせ

【お席あります】

このたび、沼尻つた子第一歌集『ウォータープルーフ』(青磁社)の

批評会兼出版記念会をひらいていただくこととなりました。

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  日   時     5月20日(土)13:00〜17:00   

  パネリスト      高木佳子さん(潮音) 内山晶太さん(短歌人

            小原奈実さん(本郷短歌) 三井修さん(塔・司会兼)

  進 行 役     山内頌子さん(塔)

  企   画     ロクロクの会

  会   費     1000円

  場   所     ハロー貸会議室池袋東口 RoomA 

                (東京都豊島区東池袋1-42-14 28山京ビル7階)

                JR山手線 池袋駅 東口 徒歩4分

批評会終了後、懇親会を予定しています。 (会費5000円程度) 

ご参加希望の方は、

  ・お名前(筆名可・あれば所属もお書きください)

  ・ご連絡先のemailアドレス

  ・批評会ご出席/ご欠席 

  ・懇親会ご出席/ご欠席  

を明記の上、 fwii6183☆mb.infoweb.ne.jp まひる野・富田睦子さん宛に

☆を@に変えてご送信ください。

お申し込み〆切は5/8でしたが、まだ若干お席がございます。

批評会のみご参加可能の方、また懇親会からご参加の方も是非どうぞ。

さまざまな立場と視点の、素晴らしいパネリストの方々をお迎えすることができ

堅苦しさのない、しかし豊かな討論の伺える会になるかと思います。

当日は多くの方からの会場発言もいただきたく思っておりますので、

皆様方のご参加を、心よりお待ち申し上げております。 

 

*当歌集をお持ちでない方も、お気軽にご参加くださいませ。

 また歌集ご購入方法等は、ひとつ前の記事をご参照頂ければ幸いです。

 当日、会場での即売も予定しております。どうぞよろしくお願い致します。

 

 

第一歌集『ウォータープルーフ』

ご無沙汰しております。

このたび、沼尻つた子の第一歌集

『ウォータープルーフ』を青磁社より上梓いたしました。

発行日は2016年9月7日、私の父の祥月命日です。

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作歌をはじめて10年間の作品をまとめました。 

200頁、404首を収録です。

タイトルはこのblogの由来でもある中城ふみ子賞次席連作からとり(作品は未収録)、

歌壇賞次席「温度差の秋」、同候補作「雨に勤める」(ワーキング・イン・ザ・レイン

から改題)、塔作品特集第一席「忘れる木偏」、塔新人賞受賞「あたたかな灰」等を

含みますが、大幅に推敲・改編をしております。

栞として、心の花の伊藤一彦氏(「沼の縁より、さらに底へ」)

未来短歌会の服部真里子氏(「短歌を書くということ」)

そして塔短歌会主宰の吉川宏志氏(「物が見え過ぎる眼」)が

それぞれ身に余る文章をお寄せくださいました。深く感謝いたします。

出版に際しまして永田淳さん、装丁は花山周子さんにご尽力いただきました。

通販は青磁社へのメール注文、ウェブ書店Amazonにて、いずれも送料無料です。

Amazonは在庫切れ表示でも、ご注文しだい順次入荷・発送がされます。

また、紀伊國屋書店(新宿本店)、葉ね文庫(大阪)三月書房(京都)でも

取り扱っていただきます。本体1700円+税です。

お手に取っていただければ幸いです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

*自選*

吾にふたつ静かの海のあるごとし永久脱毛ほどこしし腋

姉弟はひたいを寄せて待ちており絵本のなかに月が昇るを

履歴書を三味線として流れゆく瞽女(ごぜ)であるなり派遣社員

PTA総会終えてママという蒸れた着ぐるみのチャックを下ろす

担任に添削されたる詩をひとつ裏の畑に燃した夏あり

ホスピスの通路を父と腕組んでバージンロードのように歩いた

伊那谷の底(そこい)に白き川はあり吾を産む前の母を泳がす

借りたての部屋に横たえる 神様という大家にいつか帰す体を

店員用Tシャツに「がんばろう日本!」自分では読めぬ背中へ刷らる

放射性物質は蛍、放射線蛍の光という比喩に会う

新聞が新聞紙となる明けがたに行方不明者は死者へと変わる

捨ててきた「もし」の種から咲く花はあんなにきれいで見てはいけない

酔うたまま眠りしひとの頬を舐め麒麟はラベルへと戻りたり

浅いカップ分厚いコップ汚しつつドリンクバーへ向かう 生きたい

 

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(モデルはわが家の飼いねこ、雌1歳です)

Amazon CAPTCHA

 

べべさん

こんにちは。

やる気元気根気があるうちに更新しておきます。

 

去年から、歌会や勉強会など短歌関係の集まりには

なるべく和装で出かけています。

以前よりきものを着る暮らしに憧れてはいたのですが、

自装(自分で着付けをすること)となると、生来の不器用さと物覚えの悪さで

尻込みしていました。 

実家の母は着付けの免状持ちですけれども、

無駄に背があり骨ばった私の着付けは、だいぶ厄介だそうです。

 

ですが去年、転居と娘が中学校に進学したのを潮に、

浴衣からはじめてちまちまとお稽古し、数々の失敗もし、

半年でなんとか自分で着られるようになりました。

きもの姿は会う人や、時には通りすがりの見知らぬ人にまで

褒めていただけたりするので、下手なりに励みになります。

 

私が着物をきたいと強く願ったのには、きっかけがありました。

2009年の角川全国短歌大賞です。

私はこのとき「与謝野晶子短歌文学賞姉妹賞」に選ばれ、

授賞式には一張羅の訪問着を、母に着せてもらって出席しました。

それまでも着物は好きでしたが、成人式以降は友人や親族の結婚式で着る程度でした。

 

会場に、選考委員のひとりである河野裕子さんがいらっしゃいました。

淡い色の着物をお召しになり、内側からほのかに発光しているようでした。

私は塔に入会して二年、お会いするのは夏の全国大会以来、二度目でした。

ご挨拶すると、小柄な河野さんは長身の私を見上げ、目をみひらき、

「まあー、べべさん」「きょうはべべさん」「いいわねえ、きれいねえ」

ふわふわと笑みながら澄んだ声をあげ、幾度も仰いました。

関東育ちの私は「べべ」が着物のことと気づくまで、ちょっと時間がかかりました。

 

あのときの河野さんの、からだに絹が吸いつくような着姿と

童女のような笑顔が、忘れ難かったのです。

そして河野さんは既に、癌が再発していた頃でした。

 

あんな自然な着こなしができるようになるまでには

あと20年30年、もしかしたら一生かかるかもしれません。

だけど、耳の奥に小さく置かれた「べべさん」をよみがえらせたくて、

私は着物をきるのです。

 

さて、受賞した歌はこちらです。

 

 ケイタイを両手にはさみ霜月のメールをとじる押し葉のように

 

当時は二つ折りタイプの携帯電話、いわゆるガラケーが主流でした。

あれから8年が経ってスマートフォンが普及し、

早くも意味の取りづらい、すこし古びた歌になってしまいました。

ですが、河野さんの言葉と同じく、私にとってずっと大切な歌です。

 

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 当時の冊子に掲載された写真です。

そして授賞式は平成21年の、3月11日でした。

今年も3月が巡ってきます。

 

 

選者のいる歌会・いない歌会

こんにちは。

2月は慌ただしく、更新の間が空いてしまいました。

アクセスを見ますと、毎日ちょこちょこ覗いてくださる方々もいらして、

感謝しております。また時間をみつけて書いていきたいと思います。

よかったらおつきあいください。

 

さて、2月21日は「塔」の東京歌会に参加してきました。

花山多佳子さん・小林幸子さん・真中朋久さんと、三人の選者がそろう豪華版で

参加人数も24名と多すぎず、充実した評を伺うことができました、

 

改めて考えるとこれまで、のべ200回を超す歌会に出てきました。

(ここでの歌会とは、参加者が会場で直接顔をあわせる形式の

いわゆる生歌会・リアル歌会を指します)

そのなかには選者やそれに匹敵する長年の経験者がいらっしゃる歌会と

そうではない歌会、即ち比較的若い世代や初心者同士の集まり等があります。

それぞれに特徴があり、どちらが良い悪いとは一概には言えません。

私が主に参加している「塔」の月例歌会の場合、雰囲気は自由でフラットであり、

選者の御意見を伺う講義や授業といった場では無いですし、

歌会は選者のみならず、参加者全員で作り上げていくものだと思います。

 

その前提で敢えて言いますと、何十万首も詠草を読み選び評する選者がいる歌会では、

作歌におけるコツやツボをコンパクトにまとめ、参加者へ「おみやげ」のようにして

手渡してくれるときが多いように思います。

例えば先月の茨城歌会では選者から「短歌は説明ではなく描写」という言葉があり、

今回の東京歌会では「短歌のなかに〈愛○〉(愛妻・愛車・愛犬等)を使うのは

あまりよくない、愛しさの表現を探るべき」という発言がありました。

そのおみやげはとても嬉しく、有難いものです。 

落とさないよう握って持ち帰り、ときどき取り出して、眺めたりするのです。

(このブログもおみやげ保管庫にしたいという目論見があったのですけどね)

 

しかしながら選者の批評・鑑賞は、絶対的な結論でも正解でもないと思います。

選者が複数いらっしゃる歌会ですと意見が分かれることもままありますし、

その議論を聞くのも密かに楽しかったりします。

読みの内容はあくまで参考であり、むしろ詠草の読みどころを探り、見出し、

試行錯誤しながらも、限られた時間の中で端的に伝える言葉の選びかたを聞く。

歌意の正解をゴールのように定めて当てにいくより、歌を読み解くために向き合う、

歩み寄ってゆく道筋そのものが、大切なのではないでしょうか。

その道筋を示せるのは、選者のかたとは限りません。

短歌をはじめたばかりという参加者の新鮮な意見にハッとする機会もよくあります。

長く旅してきた人から渡されるおみやげだけが目的ではなく、

旅の途中の人々が拓いていくそれぞれの道筋を共に辿るために、

私は歌会に通っているのだと思います。

 

さて、ブログに何も画像が無いのも寂しいのでこちら。

 

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懐かしい「ローマの休日」をTVで観ていたら

真中さんによく似たひとが出てきて、笑ってしまいました。

グレゴリーではありません。

オードリーでもありません。

皆で読む・時を経て読む <ゼクエンツより>

Twitter上で、1月24日のつぶやきのひとつが目に入りました。

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はま松さん@濱松哲朗 ‏@symphonycogito 

木管の一人にたのむ そこ切つてください、ロマン派ではないので

ふれがたく黒白〔こくびやく〕の鍵盤〔キイ〕整列す美しい音の棺のやうに

/河野美砂子『ゼクエンツ』

1首目、オケ出身勢なら「あ〜分かる〜」となるんじゃないか。

 

これ、演奏する時にひと息のフレーズをどこまでと取るか、という解釈の相談で、ロマン派ではない=古典派以前、ということで、ピリオド奏法的に楽譜のスラーに忠実にやりましょう、ってことになるわけだけど、そういうこと知らなくても「ロマン派じゃないと切るんだ?!」って驚きに繋がる気がする。

 

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 うお、と声が出ました。

「ロマン派」の歌の謎が、7年を経て解けたのです。

 

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この河野美砂子さんの歌の初出は「塔」2009年8月号の<月詠>だと思います。

月詠>とは、塔会員が毎月10首ずつ提出し、月替わりの選者による選を経て、

3か月後に結社誌上へ掲載される作品の通称です。

私はその2009年度に「選歌欄評」という頁を担当していて、

真中朋久さん選の会員作品の批評を執筆していたのです。

 

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以下、小文を引用します。

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木管の一人にたのむ そこ切つてください、ロマン派ではないので 

                           河野 美砂子

クラシック音楽の教養がほとんど無い私。お恥ずかしいことに木管もロマン派も、よくわからない。そことはどこ?切るって何を?なのに、この歌に魅かれる。区跨りをいとわず、発した言葉そのままを詠んでいる。ロマン派の楽曲は長大になりがちとのこと。演奏を引き伸ばす木管楽器奏者に、作者が丁寧に、だがきっぱりたのむ場面を想像する。それはまるで万事における冗長さ・緩さ・甘さを断ち切る台詞のようで、小気味よいのだ。知識が有っても無くても、からだのまんなかを射抜かれる作品がある。音楽にも短歌にも。

 

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この歌は美砂子さんの第二歌集『ゼクエンツ』(2015年5月発行)に収録されました。

 

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あとがきに「Sequenz」は音楽用語(ドイツ語)で、

「音高を変えながら繰り返す、同一音型」というニュアンスだろうか、

とあります。美砂子さんはピアニストとしても活動中なので、

音楽をテーマにした短歌作品も多く詠んでいらっしゃいます。

そして濱松さんも塔の会員であり、交響楽団に所属する音楽知識が豊かなかたです。

彼のつぶやきで、目の前がひらける思いがしました。

文頭では「謎が解けた」と書きました。が、ほんとうをいえばやっぱり音楽音痴(?)

なので、濱松さんのつぶやきの意味の、おそらく半分も理解できていません。

それでも、楽団の人々の相談の様子、本番までの丹念な練習や緊張感が想像できます。

私にはぼんやりとしか視えなかった歌が、しっかりと輪郭を帯びてきました。

濱松さんに解釈のヒントを分けてもらえたことが、とても嬉しいのです。

同じ作品を複数の眼で鑑賞すること、さらには折に触れ読み直してみること。

塔短歌会の掲げる「読むよろこび」を、改めて教わったように思います。

 

ちなみに濱松さんは、塔の若手男子を「おそ松さん」の6つ子になぞらえる試みで

愛すべき長男坊ポジションにあるのですが、今回の記事が長くなりましたし、

機会を改めて。て!あああまたもや自ら宿題を上乗せしたか。

いえね、おそ松さんについては私もつらつら語りたいことがあるのでしてね……。

 

※追伸※

角川短歌年鑑・平成28年度版に掲載、小原奈実さん(本郷短歌)による

『ゼクエンツ』評、聴覚から深く掬いだす解釈が美しい、としみじみ拝読しました。

なみたん……。

 

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※おまけ※

2009年8月号、美砂子さん作品の隣の頁の企画「仏像を詠む」の表紙がCOOLで、

当時も評判を呼びました。切手コレクションの写真!

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笹井宏之さんのこと

短歌をはじめてから、私の交友関係は何倍・何十倍にもひろがりました。

インターネットの力もあって地域や年齢や性別を越えた知己ができ、

とてもうれしく思っています。

しかし、友人知人が多くなるとは、訃報に接する機会も増えるということです。

きょう1月24日は、歌人・笹井宏之さんの命日です。26歳でした。

 

  眠ったままゆきますね 冬、いくばくかの小麦を麻のふくろにつめて

                     『えーえんとくちから』PARCO出版 

 

「塔」誌の2009年5月号に掲載された小文を転記します。

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2005年、私はインターネット上で短歌に触れ、枡野浩一氏の「かんたん短歌blog」へ投稿をはじめた。様々な個性の揃った投稿者のなかに、ひときわ独特の光を放つひとがいた。

  すじすじのうちわの狭い部分からのぞいた愛という愛ぜんぶ

   (集英社『ショートソング』収録)

彼が、笹井宏之さんだった。投稿者は互いのブログを行き来し、コメントやトラックバックを付けて交流していた。そうして私は、笹井さんが長期療養中と知る。だが彼はそんなことは感じさせず、精力的に歌を発表していた。笹公人氏主催の投稿ブログ「笹短歌ドットコム」でも、彼の光は鮮烈だった。

   さすらいの蜂蜜売りは知っている 馬場さんが欅だったことを

    (扶桑社『念力短歌トレーニング』収録)

ほどなく彼は第四回歌葉新人賞を受け、のちに副賞として歌集を上梓した。これも、オンデマンド出版としてネット上で販売され、大きな反響を呼んだ。やがて笹井さんは「未来」へ、私は「塔」へ入会し、投稿よりも互いの結社が作歌の中心となった。彼の歌は歌壇内外の人々を魅了し、活躍の場をみるみる広げていった。そんな彼を眩しく見つつ、オンラインのコミュニティサービス、mixiでやりとりを続けた。語り口自体が詩のような日記やメールから滲む人柄に、私は安らいでいた。

だが、今年(2009年)の1月24日。彼はインフルエンザを悪化させ、心臓麻痺を起こした。その訃報を知ったのも、ネット上でだった。佐賀在住の彼と茨城の私は、一度も顔を会わさず、声すら交わさなかった。なのに、その不在が受け容れ難い。パソコンの電源が不意に落ちたように、かき消えてしまった彼。ネットという場が無ければ、笹井宏之という稀有な歌人は生まれなかったであろう。だが、ネット媒介ゆえの実体の薄さと(ある意味)特殊な境遇へ、夭折という要素が加わったことにより、彼の存在は今後、徒に神格化されてしまうかもしれない。早世を惜しむ多くの記事を読みながら、私は彼が「崇め奉られる」ことをおそれる。私が接し得たのは、彼のほんの僅かな一面だ。しかし、持病により身めぐりすべてに体を痛めつけられ、世界を厭いつつも、愛おしんでいたと知っている。彼は優しさと激しさをもちあわせた、生身の青年だった筈だ。彼のブログ「些細」には、命日以降、管理人の承認待ちのコメントが書き込まれ続けている。mixiのログイン記録で彼の欄は、ずっと“三日以上”前のままである。プロフィール画像には、伏し目がちの横顔が、ずっと微笑んでいる。

   拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

     (ブックパーク『ひとさらい』収録)

 

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同じ号に掲載された私の作品です。

 

二十六歳(にじゅうろく)の死亡記事欄を切り抜きし矩形を睦月の風はくぐりぬ

           (塔2009年5月号・吉川宏志選)

 

訃報の切り抜きを歌集に挟んでおいたはずですが、見当たりませんでした。

私は7年間で3回の転居をしたので、どこかに紛れたのでしょうか。

事務的な記事を見返すのがしんどくて、処分してしまったのかもしれません。

はじめて笹井さんの作品を読んだ時の、「こんなすごい人がいるんだ」という、

背筋がぞっと凍りつくような、それでいて、この人がこれからどんな歌を

繰り出してくるんだろう、と、お腹の底からわくわく沸騰するような、

不可思議な感触。

2005年10月23日、歌葉新人賞公開選考会の席に、私もいました。

受賞が決まった瞬間の拍手、笹井さんの短歌が今後もっと拡がるんだ、という高揚。

あのときの気持ちはもう二度と味わえないのですが、「すごい人」がいなくなっても、

「すごい歌」はずっと残ります。 

7年が経ちました。

私のような感傷に引きずられず、彼の歌がきちんと検証されるときが

いずれ来るだろう、と思ったりします。

 

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写っている『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房・2013年)は、

お父様である椀琴奏者の筒井孝司さんから頂戴した、思い出深いものです。

2013年11月30日の「新鋭短歌シリーズ出版記念会・懇親会」における

短歌コンテスト企画で、特別賞を受けた際の記念品でした。

    星の死の一部でありしわが生を十億年の蠍がわらふ

    そそぐべきうつはを持たずこの冬の水は涙として落つるのみ

    歳月の手形のやうに額を吹く風、その風に手を合はせたり 

そうだ、笹井さんはねこ好きでした。

ささいさん、私もねこと暮らし始めましたよ。

    透けてゆくやうに丸まりたる猫を朝陽の中にそつと掴みぬ 

                     『八月のフルート奏者』