2018年9月・塔東京平日歌会
こんにちは。
8月の塔全国大会以来、結社誌をしっかり読み、参加した歌会やイベントで得たことも
ブログに記しておこうと決めたのですが……。
更新が進まないまま塔9月号が届いてしまい、明日は東京歌会。
慌てて書いています。
さて、平成30年の9月5日、塔の東京平日歌会。
22名出詠のうち3名欠席で計19首を3時間半、ゆっくりディスカッションができました。
選者は花山多佳子さんと小林幸子さん。
天王寺歌会の広瀬明子さん・横浜歌会の笹嶋侑斗さんとご一緒できて嬉しかったです。
さて、今回のお土産は花山多佳子さんから。
※お土産とは→「選者のいる歌会・いない歌会」 2年前の記事ですが宜しければ。
<世界遺産>を詠んだ詠草があり、その批評に際しての一言。
「なにかつくるひとが、世界遺産だからどうとか言うべきではない」
私は「なにか」とは、ここでは短歌に限らず創作・創造全般、
「どうとか」とは、矢鱈に持ち上げるようなことだと捉えました。
むろん、世界遺産と呼ばれる場所・土地には素晴らしい景観や継承された歴史があり、
多くの人々の心をとらえる筈ですし、だからこその認定でしょう。
ですが、ただ「世界遺産」いう看板、予め権威によって定められた評価があるだけで
感心し有難がってしまうようなことが、多々あるのではないでしょうか。
花山さんは、個々の感性を働かそうとしない、思考停止を諫められたのだと思います。
たとえば一枚の絵画に向き合った時、その人なりに作品から受け取ったものではなく
何億円といった価格から「まあ、すごい絵なのね!」と讃えるような。
ものごとの判断基準を自分の外側に預けてしまえば、かなり楽です。
否定されないし、責任を取らなくて済む。
私にも確実に、そういう甘えがあります。
でもそれでは、なにも創造できない。
「なにかをつくるもの」の端くれとして、くりかえし自問していきます。
猫はかわいいです(思考停止)