ウォータープルーフ

waterproof /沼尻つた子

笹井宏之さんのこと

短歌をはじめてから、私の交友関係は何倍・何十倍にもひろがりました。

インターネットの力もあって地域や年齢や性別を越えた知己ができ、

とてもうれしく思っています。

しかし、友人知人が多くなるとは、訃報に接する機会も増えるということです。

きょう1月24日は、歌人・笹井宏之さんの命日です。26歳でした。

 

  眠ったままゆきますね 冬、いくばくかの小麦を麻のふくろにつめて

                     『えーえんとくちから』PARCO出版 

 

「塔」誌の2009年5月号に掲載された小文を転記します。

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2005年、私はインターネット上で短歌に触れ、枡野浩一氏の「かんたん短歌blog」へ投稿をはじめた。様々な個性の揃った投稿者のなかに、ひときわ独特の光を放つひとがいた。

  すじすじのうちわの狭い部分からのぞいた愛という愛ぜんぶ

   (集英社『ショートソング』収録)

彼が、笹井宏之さんだった。投稿者は互いのブログを行き来し、コメントやトラックバックを付けて交流していた。そうして私は、笹井さんが長期療養中と知る。だが彼はそんなことは感じさせず、精力的に歌を発表していた。笹公人氏主催の投稿ブログ「笹短歌ドットコム」でも、彼の光は鮮烈だった。

   さすらいの蜂蜜売りは知っている 馬場さんが欅だったことを

    (扶桑社『念力短歌トレーニング』収録)

ほどなく彼は第四回歌葉新人賞を受け、のちに副賞として歌集を上梓した。これも、オンデマンド出版としてネット上で販売され、大きな反響を呼んだ。やがて笹井さんは「未来」へ、私は「塔」へ入会し、投稿よりも互いの結社が作歌の中心となった。彼の歌は歌壇内外の人々を魅了し、活躍の場をみるみる広げていった。そんな彼を眩しく見つつ、オンラインのコミュニティサービス、mixiでやりとりを続けた。語り口自体が詩のような日記やメールから滲む人柄に、私は安らいでいた。

だが、今年(2009年)の1月24日。彼はインフルエンザを悪化させ、心臓麻痺を起こした。その訃報を知ったのも、ネット上でだった。佐賀在住の彼と茨城の私は、一度も顔を会わさず、声すら交わさなかった。なのに、その不在が受け容れ難い。パソコンの電源が不意に落ちたように、かき消えてしまった彼。ネットという場が無ければ、笹井宏之という稀有な歌人は生まれなかったであろう。だが、ネット媒介ゆえの実体の薄さと(ある意味)特殊な境遇へ、夭折という要素が加わったことにより、彼の存在は今後、徒に神格化されてしまうかもしれない。早世を惜しむ多くの記事を読みながら、私は彼が「崇め奉られる」ことをおそれる。私が接し得たのは、彼のほんの僅かな一面だ。しかし、持病により身めぐりすべてに体を痛めつけられ、世界を厭いつつも、愛おしんでいたと知っている。彼は優しさと激しさをもちあわせた、生身の青年だった筈だ。彼のブログ「些細」には、命日以降、管理人の承認待ちのコメントが書き込まれ続けている。mixiのログイン記録で彼の欄は、ずっと“三日以上”前のままである。プロフィール画像には、伏し目がちの横顔が、ずっと微笑んでいる。

   拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

     (ブックパーク『ひとさらい』収録)

 

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同じ号に掲載された私の作品です。

 

二十六歳(にじゅうろく)の死亡記事欄を切り抜きし矩形を睦月の風はくぐりぬ

           (塔2009年5月号・吉川宏志選)

 

訃報の切り抜きを歌集に挟んでおいたはずですが、見当たりませんでした。

私は7年間で3回の転居をしたので、どこかに紛れたのでしょうか。

事務的な記事を見返すのがしんどくて、処分してしまったのかもしれません。

はじめて笹井さんの作品を読んだ時の、「こんなすごい人がいるんだ」という、

背筋がぞっと凍りつくような、それでいて、この人がこれからどんな歌を

繰り出してくるんだろう、と、お腹の底からわくわく沸騰するような、

不可思議な感触。

2005年10月23日、歌葉新人賞公開選考会の席に、私もいました。

受賞が決まった瞬間の拍手、笹井さんの短歌が今後もっと拡がるんだ、という高揚。

あのときの気持ちはもう二度と味わえないのですが、「すごい人」がいなくなっても、

「すごい歌」はずっと残ります。 

7年が経ちました。

私のような感傷に引きずられず、彼の歌がきちんと検証されるときが

いずれ来るだろう、と思ったりします。

 

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写っている『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房・2013年)は、

お父様である椀琴奏者の筒井孝司さんから頂戴した、思い出深いものです。

2013年11月30日の「新鋭短歌シリーズ出版記念会・懇親会」における

短歌コンテスト企画で、特別賞を受けた際の記念品でした。

    星の死の一部でありしわが生を十億年の蠍がわらふ

    そそぐべきうつはを持たずこの冬の水は涙として落つるのみ

    歳月の手形のやうに額を吹く風、その風に手を合はせたり 

そうだ、笹井さんはねこ好きでした。

ささいさん、私もねこと暮らし始めましたよ。

    透けてゆくやうに丸まりたる猫を朝陽の中にそつと掴みぬ 

                     『八月のフルート奏者』