選者のいる歌会・いない歌会
こんにちは。
2月は慌ただしく、更新の間が空いてしまいました。
アクセスを見ますと、毎日ちょこちょこ覗いてくださる方々もいらして、
感謝しております。また時間をみつけて書いていきたいと思います。
よかったらおつきあいください。
さて、2月21日は「塔」の東京歌会に参加してきました。
花山多佳子さん・小林幸子さん・真中朋久さんと、三人の選者がそろう豪華版で
参加人数も24名と多すぎず、充実した評を伺うことができました、
改めて考えるとこれまで、のべ200回を超す歌会に出てきました。
(ここでの歌会とは、参加者が会場で直接顔をあわせる形式の
いわゆる生歌会・リアル歌会を指します)
そのなかには選者やそれに匹敵する長年の経験者がいらっしゃる歌会と
そうではない歌会、即ち比較的若い世代や初心者同士の集まり等があります。
それぞれに特徴があり、どちらが良い悪いとは一概には言えません。
私が主に参加している「塔」の月例歌会の場合、雰囲気は自由でフラットであり、
選者の御意見を伺う講義や授業といった場では無いですし、
歌会は選者のみならず、参加者全員で作り上げていくものだと思います。
その前提で敢えて言いますと、何十万首も詠草を読み選び評する選者がいる歌会では、
作歌におけるコツやツボをコンパクトにまとめ、参加者へ「おみやげ」のようにして
手渡してくれるときが多いように思います。
例えば先月の茨城歌会では選者から「短歌は説明ではなく描写」という言葉があり、
今回の東京歌会では「短歌のなかに〈愛○〉(愛妻・愛車・愛犬等)を使うのは
あまりよくない、愛しさの表現を探るべき」という発言がありました。
そのおみやげはとても嬉しく、有難いものです。
落とさないよう握って持ち帰り、ときどき取り出して、眺めたりするのです。
(このブログもおみやげ保管庫にしたいという目論見があったのですけどね)
しかしながら選者の批評・鑑賞は、絶対的な結論でも正解でもないと思います。
選者が複数いらっしゃる歌会ですと意見が分かれることもままありますし、
その議論を聞くのも密かに楽しかったりします。
読みの内容はあくまで参考であり、むしろ詠草の読みどころを探り、見出し、
試行錯誤しながらも、限られた時間の中で端的に伝える言葉の選びかたを聞く。
歌意の正解をゴールのように定めて当てにいくより、歌を読み解くために向き合う、
歩み寄ってゆく道筋そのものが、大切なのではないでしょうか。
その道筋を示せるのは、選者のかたとは限りません。
短歌をはじめたばかりという参加者の新鮮な意見にハッとする機会もよくあります。
長く旅してきた人から渡されるおみやげだけが目的ではなく、
旅の途中の人々が拓いていくそれぞれの道筋を共に辿るために、
私は歌会に通っているのだと思います。
さて、ブログに何も画像が無いのも寂しいのでこちら。
懐かしい「ローマの休日」をTVで観ていたら
真中さんによく似たひとが出てきて、笑ってしまいました。
グレゴリーではありません。
オードリーでもありません。