塔東京平日歌会(2016年1月)
1月6日、今年はじめての歌会へ参加してきました。
東京の中央区で毎月第一水曜、定期的に開かれている歌会で、
私は塔に入会後に参加して断続的にほぼ10年、
ここ5、6年はだいたい毎月出席しているように思います。
でも年々記憶が曖昧になるので、blogに残しておこうという魂胆です。
会場は中央区産業会館の会議室。私の下車駅は都営地下鉄浅草橋です。
歌会にはほぼ毎回、塔の選者が参加してくださいます。
今月は花山多佳子さんと小林幸子さん。
ラスボスサチコではなく、ユキコさん。
ザクセンハウゼン・アウシュビッツ収容所が題材の一連を中心とした
第六歌集『場所の記憶』で葛原妙子賞 も受けていらっしゃいます。
今回の歌会中には花山さんの近著、『森岡貞香の秀歌』の紹介もありました。
一昨年までは栗木京子さんもよくお見えでしたが、いまはご多忙とのこと。
このお三方を私はとても信頼しているので、いそいそ都内まで繰り出すわけです。
歌会の会費は一回500円。選者のかたもお納めになります。
ひとりひとりに会費で購入したお菓子が用意されています。
(N田A子さんありがとうー)
今回の参加者は28人。昨年の延べ人数は376人だったそう。すごい。
平日昼という時間帯なので、参加者は主婦や退職後の方がほとんどで
40代の私ですら最年少世代です。
詠草はひとり自由詠一首を係の会員に事前提出しておき、
当日、まとめてコピーしていただいた詠草集が配られます。
それを元に13時から17時まで、途中15分の休憩をはさんで進行していきます。
選歌(この歌が良いという投票・集計)はありません。
冒頭から一首ずつ参加者数人が評し、選者がまとめる形です。
今回、一首あたりの所要時間は6分ほどでしたが、
議論が紛糾する歌など、往々にして時間オーバーします。
真剣ですがしばしば笑いも起こる、和やかな雰囲気です。
歌会をはたから見れば、広い部屋に老若男女(老多め女多め)がずらりと着席し、
謎の紙を見ながら、あれこれ言いあったり書きとったりしている、
ちょっと奇妙な光景かもしれません。
うららかな晴天の昼下がりなど、部屋に閉じこもって何時間も
私、なにやってるんだろう。。。といまだに思います。
楽しいんですけれど。
さて、私が提出した歌は
くらがりは吾のうちにあり胸深く破魔矢いだきて境内をゆく
「うたの日」の昨年12/28のお題「魔」へ投稿した詠草、
吾のなかにくらやみはあり胸深く破魔矢いだきて境内をゆく
を推敲したものです。
私はときどき、異なる歌会へ同じ詠草を提出します。
歌会の空気感や参加者の層により、評が異なってくる場合がしばしばあり
自作をより多角的に捉えられるのでは、という試み(企み)からです。
上記の歌は「うたの日」ではありがたいことに好評で、花束も頂戴しました。
なので「いい歌できたぜドヤァン」という気持ちも正直あったのです。
しかし、平日歌会ではバッサバッサと評されました。
*意味ありげ、思わせぶり、オーバーなだけで、歌としてはつまらない
*くらがりとは神秘性、敬虔な気持ちではないか
*人間は誰しもが表に出さない悩みや迷い、暗い感情などを隠しているので、
初句は言わずもがな。「ああそうなんですか」で終わる
*初詣の行きか帰りか昼か夜か、状況がわからない
*くらがり・うち・胸深く・いだく・境内など、イメージの重なる、
深度のふかい単語が並び、言葉の重みに頼りすぎて無理がある
等々。
花山さんの総評は
「破魔矢はふつう外に向かって厄を払うものだが、自分のなかに魔があるので
矢を内側に向けるというのは、辻褄が合い過ぎ、理が通り過ぎている。
場所も境内より、むしろ街中などのほうがさりげなくて良いのでは」とのこと。
うううううう。
このように歌会では、自作へ厳しい評を受けたり、他の作品をしっかり読み解けなかったり、自分の発言が的外れだったりで、気落ちすることもあります。
私はほぼ毎回、ズドーンとうなだれ、地にめりこみそうになりつつ帰ります。
それでも繰り返し足を運んでしまうのは、自分では気づけなかった歌の瑕と
これから為すべきことが見えるからでしょう。
他者の眼を借りられる、とても貴重な場だと思うのです。
そして、新鮮な歌や魅力的な言葉に出会うと、むしょうに嬉しくなります。
今回は「梨ノート」と「恒沙の星」というフレーズが好きでした。
いずれ塔誌上に出るのを楽しみにしています。
そんなわけで私はまた懲りもせず、東京平日歌会へ行くのでした。