ウォータープルーフ

waterproof /沼尻つた子

笹井宏之さんのこと

短歌をはじめてから、私の交友関係は何倍・何十倍にもひろがりました。

インターネットの力もあって地域や年齢や性別を越えた知己ができ、

とてもうれしく思っています。

しかし、友人知人が多くなるとは、訃報に接する機会も増えるということです。

きょう1月24日は、歌人・笹井宏之さんの命日です。26歳でした。

 

  眠ったままゆきますね 冬、いくばくかの小麦を麻のふくろにつめて

                     『えーえんとくちから』PARCO出版 

 

「塔」誌の2009年5月号に掲載された小文を転記します。

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2005年、私はインターネット上で短歌に触れ、枡野浩一氏の「かんたん短歌blog」へ投稿をはじめた。様々な個性の揃った投稿者のなかに、ひときわ独特の光を放つひとがいた。

  すじすじのうちわの狭い部分からのぞいた愛という愛ぜんぶ

   (集英社『ショートソング』収録)

彼が、笹井宏之さんだった。投稿者は互いのブログを行き来し、コメントやトラックバックを付けて交流していた。そうして私は、笹井さんが長期療養中と知る。だが彼はそんなことは感じさせず、精力的に歌を発表していた。笹公人氏主催の投稿ブログ「笹短歌ドットコム」でも、彼の光は鮮烈だった。

   さすらいの蜂蜜売りは知っている 馬場さんが欅だったことを

    (扶桑社『念力短歌トレーニング』収録)

ほどなく彼は第四回歌葉新人賞を受け、のちに副賞として歌集を上梓した。これも、オンデマンド出版としてネット上で販売され、大きな反響を呼んだ。やがて笹井さんは「未来」へ、私は「塔」へ入会し、投稿よりも互いの結社が作歌の中心となった。彼の歌は歌壇内外の人々を魅了し、活躍の場をみるみる広げていった。そんな彼を眩しく見つつ、オンラインのコミュニティサービス、mixiでやりとりを続けた。語り口自体が詩のような日記やメールから滲む人柄に、私は安らいでいた。

だが、今年(2009年)の1月24日。彼はインフルエンザを悪化させ、心臓麻痺を起こした。その訃報を知ったのも、ネット上でだった。佐賀在住の彼と茨城の私は、一度も顔を会わさず、声すら交わさなかった。なのに、その不在が受け容れ難い。パソコンの電源が不意に落ちたように、かき消えてしまった彼。ネットという場が無ければ、笹井宏之という稀有な歌人は生まれなかったであろう。だが、ネット媒介ゆえの実体の薄さと(ある意味)特殊な境遇へ、夭折という要素が加わったことにより、彼の存在は今後、徒に神格化されてしまうかもしれない。早世を惜しむ多くの記事を読みながら、私は彼が「崇め奉られる」ことをおそれる。私が接し得たのは、彼のほんの僅かな一面だ。しかし、持病により身めぐりすべてに体を痛めつけられ、世界を厭いつつも、愛おしんでいたと知っている。彼は優しさと激しさをもちあわせた、生身の青年だった筈だ。彼のブログ「些細」には、命日以降、管理人の承認待ちのコメントが書き込まれ続けている。mixiのログイン記録で彼の欄は、ずっと“三日以上”前のままである。プロフィール画像には、伏し目がちの横顔が、ずっと微笑んでいる。

   拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

     (ブックパーク『ひとさらい』収録)

 

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同じ号に掲載された私の作品です。

 

二十六歳(にじゅうろく)の死亡記事欄を切り抜きし矩形を睦月の風はくぐりぬ

           (塔2009年5月号・吉川宏志選)

 

訃報の切り抜きを歌集に挟んでおいたはずですが、見当たりませんでした。

私は7年間で3回の転居をしたので、どこかに紛れたのでしょうか。

事務的な記事を見返すのがしんどくて、処分してしまったのかもしれません。

はじめて笹井さんの作品を読んだ時の、「こんなすごい人がいるんだ」という、

背筋がぞっと凍りつくような、それでいて、この人がこれからどんな歌を

繰り出してくるんだろう、と、お腹の底からわくわく沸騰するような、

不可思議な感触。

2005年10月23日、歌葉新人賞公開選考会の席に、私もいました。

受賞が決まった瞬間の拍手、笹井さんの短歌が今後もっと拡がるんだ、という高揚。

あのときの気持ちはもう二度と味わえないのですが、「すごい人」がいなくなっても、

「すごい歌」はずっと残ります。 

7年が経ちました。

私のような感傷に引きずられず、彼の歌がきちんと検証されるときが

いずれ来るだろう、と思ったりします。

 

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写っている『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房・2013年)は、

お父様である椀琴奏者の筒井孝司さんから頂戴した、思い出深いものです。

2013年11月30日の「新鋭短歌シリーズ出版記念会・懇親会」における

短歌コンテスト企画で、特別賞を受けた際の記念品でした。

    星の死の一部でありしわが生を十億年の蠍がわらふ

    そそぐべきうつはを持たずこの冬の水は涙として落つるのみ

    歳月の手形のやうに額を吹く風、その風に手を合はせたり 

そうだ、笹井さんはねこ好きでした。

ささいさん、私もねこと暮らし始めましたよ。

    透けてゆくやうに丸まりたる猫を朝陽の中にそつと掴みぬ 

                     『八月のフルート奏者』

 

 

大雪根雪万年雪(塔・茨城歌会参加記)

 昨日18日、私の住む埼玉は大雪に見舞われました。

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15cmほど積もったでしょうか。おおゆき、というと北国住まいのかたに笑われそう。

本日は陽射しが良く、だいぶ溶けてきています。

さて気が付けば一週間以上前になってしまいましたが、

1月12日に、塔の茨城歌会に参加してきました。

塔短歌会の特長のひとつに地方での歌会の充実があり、

仙台から鹿児島、ブラジル・サンパウロまで、40近くの地方歌会が運営されています。

また、選者もしくは選者に準ずるかたが地方に派遣される制度もあります。

増え続ける全国の会員のフォロー、また結社の活動が京都や東京といった

大都市に集中するのを避ける意図もあるでしょう。

茨城歌会は、私が茨城県に住んでいた当時から、8年程お世話になっています。

歌歴の長い大先輩のいらっしゃる集まりで、私は子どものように、

また私の娘や息子は孫のように接していただき、ほんとうに有難かったです。

ちょうど今月、2016年1月号の「塔」に、当時を詠んだ歌が掲載されています。

 

   歌会の部屋の隅にて子のおむつ替えし日もあり 畳の匂い  (永田和宏選)

 

そして近年は私が取りまとめ係も務めておりましたが、2016年からは諸事情により

変化がありました。そのあたりは、昨年の塔12月号「地方歌会の一年」に寄せた小文を

転記させていただきます。まっまた手抜きじゃないですたぶん!

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本年度の茨城歌会は、昨年までの会場であった土浦駅前ビルの改装に伴い、場所を牛久駅前エスカード生涯学習センターへと移しました。しかし、主要メンバーがごく少人数であるため都合調整が難しく、二か月に一回・一年に六回開催の予定が、五月と七月と、二回のみに留まってしまいました。更に茨城県内在住の会員の参加増加がなかなか望めず、従来メンバーから休会の申し出もあり、歌会の存続自体が危ぶまれる状況となっておりました。そこで三井修さんのご提案により、二〇一六年一月より、会場を取手福祉会館に移し、再出発させていただく運びとなりました。千葉県内・東京都内からもアクセスしやすくなったかと思います。詠草受付も、今後は我孫子市在住の中澤百合子さんにお任せすることとなりました。基本的に従来通り、奇数月の第二日曜開催・自由詠二首の提出となります。近郊の皆様は是非ご参加下さいますようお願い申し上げます。アットホームで奇譚のない意見交換ができる、中身のぎゅつと濃い時間が茨城歌会の持ち味でした。新たなかたちで、より充実した会となりますように。 

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今回は取手に移って初めての会で、取手駅から徒歩3分の「ウエルネスプラザ」という

新しくきれいな施設のセミナールームで行われました。

参加者は9名で、それぞれが自由詠を2首提出、選歌はせず順番に評し、

最後に作者解題をするスタイルです。

今回は塔の選者である三井修さんが参加してくださったので、

ディスカッションが一段落したら三井さんにまとめていただく形となりました。

歌会では選者の詠草も無記名で混じっていますので、同じように評するわけです。

大ベテランも新入会員も、壁を作らず等しい立場で評を交せるところが、

塔の歌会の良さだと思います。

また、選者、もしくは短歌における識者、「先生」(塔では基本、呼びませんが)

とされる人がいる歌会・いない歌会について、私なりに考えるところもあります。

が、また別の機会に宿題として書きたいと考えています。

 さて、今回の私の詠草2首のうち、1首はどこの場にも発表しないと思いますので、

ここに曝しますね。もう1首は、うん、未発表でとっておきます(欲の皮)

 

   フォルダには根雪のように残りおり「既視感あり」と評されし歌

 

「根雪」から気持ちの冷え、寂しさ、わだかまりなどを読み取っていただけました。

「フォルダ」を紙を挟んだものかと読んだ方もいらっしゃいましたが、

三井さんから「フォルダー」ならいわゆる書類綴じで、「フォルダ」ならば

PCでの保管場所を指すと解説がありました(私もPCデータを意図しました)

また、「根雪」だと春が来れば溶けてしまうので、保存すれば消えないフォルダの

比喩としては疑問、「万年雪」ならまだ筋が通るとも指摘されました。

白状すると、私の「根雪」への認識不足でした。。。もの知らず。

でもなにか「万年雪」ということばはしっくりこないので、

それこそフォルダへ寝かせっぱなしの、日の目を見ない歌になりそうです。

そして短歌の批評でときおりつかわれる「既視感」という言葉にも、

いろいろと思うところがあるのですが、これもいずれ機会があれば(また増える宿題)

 

茨城歌会の人数は少なめですが、そのぶん一首にじっくり取り組める充実の会です。

次回は3月13日、近隣の方はぜひご参加ください。

塔の会員以外の方の見学も承っております。宜しければお声がけください。

 

超結社歌会と、所属について

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1月9日は月に一度の「ロクロクの会」へ行ってまいりました。

昨年6月6日に発足した歌会で、30〜40代の女性十数人から成っています。

ちなみにこの日に習い事を始めると、上達するという言い伝えがあるそうです。

(6歳の何倍にもなっている私たちではありますが)

全員がいずれかの結社に属し、歌歴が長いメンバーばかりです。

作歌11年目の私が一番短いくらいではないでしょうか。

 

歌会の詠草は題詠と自由詠、一首ずつがメンバーから事前にメールで提出され、

持ち回りで担当する司会進行者が詠草集にまとめます。

選歌投票ののちに批評をしあい、作者解題は最後です。

会場は都内の貸会議室利用の4時間ほどで、いつも時間が足りなく感じます。

キャリアも華もある歌人揃いなので詠草も討論も、すごく濃く面白いのです。

今月の題詠は干支に合わせ「猿」でしたが、それはもう強い猿が並びました。    (どんなだ)

未発表作なのでここでは掲載できないのですが、

私の詠草には以下のような評をいただきました。

【猿の歌について】

・初句の大切さ(毎回のロクロクの会キーワード的です)

・軽い導入から日常の一コマをなだらかに述べ、素直な感じ

・説明的な語を繰り返しているのは疑問、臨場感がある別の言葉を探しては?

・現実の生きた猿を詠ったのはこの歌だけ

・舞台をイメージできる固有名詞、地域や山の名などを入れたほうが良い

【自由詠について】

・なにげなく、無駄な力が入っていない

・情景描写に徹し、登場人物の人となりや姿が見えてくる

・こまかく観察しているが丁寧すぎるきらいもある

・同じ言葉を二度ださず、表現にもうひと工夫できないか

……等々。

 

さてこの会では毎回、それぞれの結社で選歌基準や鑑賞の視点、

批評用語などに違いを感じるのが、とても面白いです。

二次会でも結社間の話は盛り上がり、ぼんやり感じている結社間の特色を

なんとか分析し言語化し系統立てできないか!あー!と(酔っぱらいながら)

話しておりました。

同じ結社の中でも選者の欄により雰囲気が異なる、という話も興味深く聞きました。

塔は選者が固定制ではないので、あまり個性が出ないようでいて、

逆によく言われるような全体としての「塔っぽさ」が感じられます。

こういった話題も超結社の会ならではです。

私たち30〜40代の壮年歌人は10〜20代の青年歌人・50〜60代の熟年歌人に挟まれて

中間管理職的な立場だねーという話も。更に上の70〜80代バリバリ現役歌人もいて。

それから、もっとみんな気軽に結社へ入ってもいいのにね、という話もありました。

怖い・固い・きつい・簡単に辞められない、といった4K(勝手に私が名づけた)は

話を聞く限りいずれの結社でも無いですし、合う合わないは実際に入ってみないと

なんともわからないことです。結社の中でも欄で違いがあるのですし。。。

ご自身の心惹かれる歌をうたう歌人の所属する結社が一番の近道かとは思いますが、

結社誌を取り寄せたり、経験者に話を聞いたり、歌会を覗いたりで比較検討してみて、

考えた結果が無所属でも、全然かまわないと思うのです。

そういった手助けも壮年がやっていければな…と10年目にして思います。

私は勿論まだ育てられている身ですが、短歌のような「場」を必要とする文学は

バトンやバケツリレー(いや、どうなんだろうこの喩え)のように

人の力で、意志を持って、<繋げていく>ものだと思うのです。

 

さて来月のロクロクの会は、私がお題を決める名誉をいただきました。

2月にあわせてちょっとひねった題にしたので、どんな歌が読めるか楽しみです。

(自分の首を絞める)

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(二次会の塚田農場で昇進!した某さんのお祝い)



「塔」誌の初校について

昨日1/8は塔の結社誌の初校日で、またも浅草橋へ行ってきました。

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(撮ったはいいが使いどころがなかった画像)

で、校正というものをご紹介したいので、2015年の塔4月号掲載の

「東京初校レポ―ト」を転記いたします。

てっ手抜き記事じゃないですよ!手抜いてるけど!

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結社誌「塔」が出来上がる迄には、幾つもの過程があります。メール送信のデータを取り込んだりした校正刷り(通称ゲラ)を原稿とつき合せ、誤植の有無を調べるものです。最初の校正の「初校」、初校から戻り刷り直されたゲラ「塔」初校は全国各地で手分けして同日に行われ、関東では東京の「中央区産業会館」で行われます。東京初校はもう十数年行われており、当初はごく少人数で、喫茶店のスペースを借りていたそうです。現在、校正には東京・神奈川・埼玉・千葉から有志が集まります。かつては花山多佳子さんや小林幸子さんも、ご多忙の間を縫って参加して下さいました。ここ数年は校正人数が確保でき、選者無しの実施が殆どです。また平成二十六年、東京での取りまとめ役が、長く務めて下さった佐藤南壬子さんから北神照美さんに交代となりました。ゲラはまず、京都の松村編集長のもとに納品されたのち仕分けされ、全国各地の校正拠点へ校正前日指定の宅配便で分配されます。確実に受け取らないとならない為、配送日は外出もままならないのだそうです。初校当日は毎月ほぼ第二週の金曜、午後一時から数時間。全国大会の詠草集など、イレギュラーの校正も入ります。河野裕子追悼号や『塔事典』の発行の際には、月に二回集まりました。校正メンバーは手分けして原稿とゲラを見比べ、誤植があれば赤鉛筆で書きこんでいきます。最低でも二名が目を通し「素読み」というゲラのみを読むチェックも行います。会員住所録を頼りに、人名にも気をつけます。引用歌の間違いや、崩し字・略字等、判読の難しい原稿が悩みどころです。固有名詞や慣用句、旧仮名遣いの明らかな誤りは直しますが、基本的には原稿を極力生かすようにしています。初校を終え、ページ順に整えられた原稿とゲラはその場で袋詰めされ、宅配業者の集荷所へ持ち込まれて、京都の編集長宅へ送付されます。日程厳守です。去る平成二十三年三月の校正最中に、東日本大震災が起こりました。東京でも揺れは大きく、交通機関が麻痺しました。ですがその日も佐藤さんが冷静に状況を判断し、責任を持って原稿とゲラを預かって下さったことなども思い起こされます。校正は集中力を要し、眼も脳も疲労する作業です。しかしいち早く誌面を読めたり、新たな知識を得たり、会員の直筆を知り、より身近に感じる喜びもあります。そして結社誌は、会費を納めさえすれば自動販売機のように出てくるものではないのだ、と痛感するのです。塔の新体制(※吉川宏志氏の主宰就任後の体制)のもとでも、東京初校メンバー一同協力し合い、 より誤植の少ない誌面作りのお手伝いをしていきたく思います。

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「塔」は会員1000人以上の大きな結社ですが、運営は全国の会員ひとりひとりの自主的

な協力・参加によって成り立っています。受身だけではなかなか活動できません。

これは塔に限らず、ほとんどの短歌結社に共通することだと認識しています。

もし、今後いずれかの結社への所属をお考えの方が当記事をご覧になっていらした

ら、どうかこのことをお心に留めておいて頂ければ幸いです。

塔東京平日歌会(2016年1月)

1月6日、今年はじめての歌会へ参加してきました。

東京の中央区で毎月第一水曜、定期的に開かれている歌会で、

私は塔に入会後に参加して断続的にほぼ10年、

ここ5、6年はだいたい毎月出席しているように思います。

でも年々記憶が曖昧になるので、blogに残しておこうという魂胆です。

会場は中央区産業会館の会議室。私の下車駅は都営地下鉄浅草橋です。

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歌会にはほぼ毎回、塔の選者が参加してくださいます。

今月は花山多佳子さんと小林幸子さん。

ラスボスサチコではなく、ユキコさん。

ザクセンハウゼンアウシュビッツ収容所が題材の一連を中心とした

第六歌集『場所の記憶』で葛原妙子賞 も受けていらっしゃいます。

今回の歌会中には花山さんの近著、『森岡貞香の秀歌』の紹介もありました。

一昨年までは栗木京子さんもよくお見えでしたが、いまはご多忙とのこと。

このお三方を私はとても信頼しているので、いそいそ都内まで繰り出すわけです。

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歌会の会費は一回500円。選者のかたもお納めになります。

ひとりひとりに会費で購入したお菓子が用意されています。

(N田A子さんありがとうー)

今回の参加者は28人。昨年の延べ人数は376人だったそう。すごい。
平日昼という時間帯なので、参加者は主婦や退職後の方がほとんどで

40代の私ですら最年少世代です。

詠草はひとり自由詠一首を係の会員に事前提出しておき、

当日、まとめてコピーしていただいた詠草集が配られます。

それを元に13時から17時まで、途中15分の休憩をはさんで進行していきます。
選歌(この歌が良いという投票・集計)はありません。

冒頭から一首ずつ参加者数人が評し、選者がまとめる形です。

今回、一首あたりの所要時間は6分ほどでしたが、

議論が紛糾する歌など、往々にして時間オーバーします。

真剣ですがしばしば笑いも起こる、和やかな雰囲気です。

歌会をはたから見れば、広い部屋に老若男女(老多め女多め)がずらりと着席し、

謎の紙を見ながら、あれこれ言いあったり書きとったりしている、

ちょっと奇妙な光景かもしれません。

うららかな晴天の昼下がりなど、部屋に閉じこもって何時間も

私、なにやってるんだろう。。。といまだに思います。

楽しいんですけれど。

 

さて、私が提出した歌は

   くらがりは吾のうちにあり胸深く破魔矢いだきて境内をゆく

うたの日」の昨年12/28のお題「魔」へ投稿した詠草、

   吾のなかにくらやみはあり胸深く破魔矢いだきて境内をゆく

を推敲したものです。

私はときどき、異なる歌会へ同じ詠草を提出します。

歌会の空気感や参加者の層により、評が異なってくる場合がしばしばあり

自作をより多角的に捉えられるのでは、という試み(企み)からです。

上記の歌は「うたの日」ではありがたいことに好評で、花束も頂戴しました。

なので「いい歌できたぜドヤァン」という気持ちも正直あったのです。

しかし、平日歌会ではバッサバッサと評されました。

 *意味ありげ、思わせぶり、オーバーなだけで、歌としてはつまらない

 *くらがりとは神秘性、敬虔な気持ちではないか

 *人間は誰しもが表に出さない悩みや迷い、暗い感情などを隠しているので、

  初句は言わずもがな。「ああそうなんですか」で終わる

 *初詣の行きか帰りか昼か夜か、状況がわからない

 *くらがり・うち・胸深く・いだく・境内など、イメージの重なる、

  深度のふかい単語が並び、言葉の重みに頼りすぎて無理がある

等々。

花山さんの総評は

 「破魔矢はふつう外に向かって厄を払うものだが、自分のなかに魔があるので

  矢を内側に向けるというのは、辻褄が合い過ぎ、理が通り過ぎている。

  場所も境内より、むしろ街中などのほうがさりげなくて良いのでは」とのこと。

うううううう。

このように歌会では、自作へ厳しい評を受けたり、他の作品をしっかり読み解けなかったり、自分の発言が的外れだったりで、気落ちすることもあります。

私はほぼ毎回、ズドーンとうなだれ、地にめりこみそうになりつつ帰ります。

それでも繰り返し足を運んでしまうのは、自分では気づけなかった歌の瑕と

これから為すべきことが見えるからでしょう。

他者の眼を借りられる、とても貴重な場だと思うのです。

そして、新鮮な歌や魅力的な言葉に出会うと、むしょうに嬉しくなります。

今回は「梨ノート」と「恒沙の星」というフレーズが好きでした。

いずれ塔誌上に出るのを楽しみにしています。

そんなわけで私はまた懲りもせず、東京平日歌会へ行くのでした。

 

「うたの日」について

うたの日というサイトがあります。

2014年4月1日に開設され、オンライン上の歌会が毎日開催されています。

ネット環境があれば誰でも簡単に参加できる、大変ゆきとどいたシステムです。

毎日、数十~100名近い参加者で賑わっています。

運営は「のの」さんというウィットに富んだ女性で、サイトのあちこちに

遊び心が感じられます。

 

うたの日の歌会では、日替わりのお題にそった短歌を送信すると、

定時に匿名の詠草集として掲示されます。

それを見て自分の気に入った歌(特選・LOVE、❤ハート)

もしくは(並選・LIKE、♪音符)に投票します。

任意の歌に評やコメントを付けることも可能で、

時間が来ると作者名と集計結果が発表される仕組みです。

投票や評は必須ではありませんが、投票すれば自分の詠草に得点がプラスされます。

毎日の歌会で花束(首位)を獲得した人たちによる、選抜制の月間歌会

うたの人」は、評が必須のこともあり、特に充実していたと思います。

 

私はtwitter上でうたの日の存在を知り、昨年5月から12月末まで、ほぼ毎日参加していました。

ホームグラウンドである結社を離れての自分の腕試しと、

さまざまな作風の歌を見てみたい、というのが参加理由でした。

うたの日に出詠される作品は玉石混交だったというのが、率直な感想です。

良くも悪くも、特選がなかなか選べない回が多くありました。

 

しかし、ののさんが昨年末、Twitter上で

<うたの日の理想は、「誰でも飛び入り参加できる草野球を毎日やってる原っぱ」です。>

とつぶやいていらっしゃるのをみて、納得しました。

歌や評の優劣、巧拙より、誰もが自由に参加して短歌を楽しめるのが一番ということ。

そのなかで感性や技術を鍛え、学びあい、お互いに磨きあっていければいっそう良い。

そして草野球よりも<上手い>プロ野球や大リーグに価値があるかというと、

必ずしもそうではないと思います。

 

ののさんには

プロ野球選手は、草野球に腹が立つことあるのかなー。ないと思うなー。>

というつぶやきもありましたが、これもなかなか含蓄のある言葉です。

 苦しみながらも楽しみ、よい作品に出会えることを互いに喜びあう。

それは短歌に関わる基本姿勢だと、私は捉えています。

 

私には塔短歌会という基盤、発表の場があります。

結社はいうなれば、社会人野球チームくらいの位置でしょうか。

うたの日にお邪魔するのはそろそろ潮時だと感じ、参加をとりやめましたが

毎日のお題に沿った歌を考えること、ほかの作品への評を書くことで

歌の基礎体力をつけていただけたと、とても感謝しております。

またこまめに覗かせていただきます。

 

なお蛇足ながら申し上げますと、多数の票を集め花束を獲得した歌は

必ずしも絶対的秀歌ではないと思います。

これはどの歌会でも共通して言えることですし、

あまり結果に拘泥しないほうがいいのでは、と考えています。

花束数がポイントのように集計され貯まっていったり、

うたの人では得票数により刻々と順位が入れ替わっていくのが見えるのが

うたの日の面白味でもありますが、それはあくまで余禄として捉えたいです。

そして短歌に<勝ち負け>は無い、という私見をお伝えしておきます。

 

塔短歌会への入会

 

 塔短歌会への入会申込は、2006年の9月頃に行いました。
会費振り込み等の手続き後、同年11月号の「新入会員紹介」欄に名前が載り、
月詠(毎月提出する短歌作品)の掲載は12月号からでした。
塔誌は一般の雑誌のように月を先取りせず、11月号なら11月に発行されます。
会員の自宅に配送されるのは毎月15日前後です。
活字になった自分の名前をみて、とてもどきどきしたのを今でも覚えています。

任意で短文の自己紹介がつけられるのですが、私は
「昨年より短歌を始めたばかりです。まだまだ勉強不足ですが、
 精一杯学んでいきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。」
と書いています。
ガッチガチに緊張している……。

同月の入会者は15人。
相原かろさん・佐藤陽介さんのように、
当時から同期生として意識しあっている仲間もいますし、
正直、お名前を存じ上げない方もいらっしゃいます。
もう誌面にお見かけしない方も、逝去された方も。
10年という歳月です。

紹介者として、河野裕子さんの名前がある新入会員も幾人か。
河野さんは雑誌や新聞歌壇の投稿者・カルチャースクールの生徒さんに
「これは!」という無所属のかたがいると、片っ端から声をかけ、
入会勧誘の電話をし、こまめに葉書もお出しになっていたそうです。
河野裕子の絨毯爆撃」の異名があったとのこと。
ちなみに私は未来短歌会の笹公人さんに勧められ、塔に入会しました。
 
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 私と名前が並んでいる「原ゆきこ」さんは、のちにお若くして亡くなられました。
進行する病と対峙する歌たちが、当時の塔誌に残っています。
彼女とは直接の交流はありませんでしたが、いつも作品を拝読しており、
訃報は残念でなりませんでした。
いずれこのブログで、原さんの歌も紹介していければと思っています。